12月第1週 田端のおでん、日本橋の一番星、十思の鐘 


12月になった。
日本橋にある一番星画廊から開廊20周年記念の中川一政展の案内状が届いたので、でかけることにした。
一番星画廊の星忠伸さんは、かつて長瀞の荒川べりの古民家でミュージアム長瀞一番星を開いていた。その頃僕はすぐ近くの埼玉県立自然の博物館にいたものだから、作品はもちろん、ほかにもたくさんのことを見聞きさせてもらった。いい時期にいい出会いに恵まれて幸運だった。

お祝いがてら行くとして、あわせて今年気がかりのまま残っていることをいくらかでも確認し、整理しようと考えた。
とくに10年ほど前に亡くなった母のことが気になっている。
母は若い頃、田端に住む夫婦のところに養女にいった。
そこから日本銀行に勤務したのだが、養父が日本橋にある「村田商店」という、商社かデパートのようなところで働いていて羽振りがよくて、日銀に毎日違う、見栄えのする服を着ていった。もとから美人でもあったから、評判になった−と親戚あたりでは身びいきな伝説のように語られていた。
戦争が間近に迫っている時期に、なかでも日銀なんていう堅そうな職場に、おしゃれで評判になるような服装で働けたものだろうか。
「村田商店」は大きな店だったようだが、どこにあり、その後どうしたのだろうか。
地元の図書館に行けばわかることがあるかもしれないと考えた。

■ 田端文士村記念館
東京都北区田端6-1-2 tel.03-5685-5171
http://www.kitabunka.or.jp/data/bunka/bunsimura/index.htm

母のことが気になりだしてから時折田端に行くのだが、まず駅前のここによって、展示眺めたりしてひと休みする。
田端はもと作家や画家など、文化人が集まっていたところ。
荒川放水路の建設を指揮した青山士(あおやまあきら 1878 - 1963)も田端に住んで、陶芸家・板谷波山(いたやはざん 1872- 1963 ) と親しくしていた。

■ 赤紙仁王尊
東京都北区田端2-7-3 東覚寺

広い通りを南に行き、小さな魚屋さんがある角を右に曲がる。
赤い紙をペタペタ貼られた異様な物体が2本立っているのが赤紙仁王尊。
自分の体に病んでいるところがあれば、仁王の同じところに赤い紙を貼って祈れば治るという。
谷中七福神の1つの福禄寿がここで、僕が初めてきたのはその七福神めぐりでだった。
赤紙仁王尊:仁王の体じゅうに赤い紙が貼られている

● 田端土佐屋
東京都北区田端2-9-1 tel.03-3821-4913

1923年(大正12年)に創業。関東大震災の年で、どうもこの年には何かといきあう。
その先へクネクネした道を進むと、右に小さな和菓子の店が現れる。
数日前に夕方来たら売り切れで残念な思いをした。
今日は、これからかなり歩くことになりそうだし、お祝いのお酒も風呂敷にいれて持っているのだが、持ち物が重くなるのも厭わず、芋ようかんを買った。
ここの芋ようかんはさつまいも特有のアクのようなものがない。重くなくて、ふわふわと軽めの味わいで、芋にこういう言い方はヘンかもしれないが、上品で洗練されたやさしさがある。

● 田端銀座
http://tabataginza.o-ji.net/

最近放送されたテレビ東京の「出没!アド街ック天国」で田端編があり、田端銀座が紹介されていた。
母が住んでいた家の近くにも商店が並ぶ通りがあるが、わりとジミ。こんな活気のある商店街も近くにあることをそのテレビ放送で初めて知った。
小さな店が両側に並んで、通りにせりだすくらいにモノを並べている。
鯛焼きの店があり、おばあちゃんが3人、買ったたいやきを、隣のコインランドリーのベンチに腰かけて食べている。
店先のキャンデースタンドみたいな白い箱から何か買っていく人を見かけたので何だろうとのぞいて見たら、1袋30円の刻んだキャベツをビニール袋に小分けして売っている。

パン屋さん夢工房に入って、色にひかれてオレンジピールとカボチャのパンを買った。
宮川鳥肉店では、「アド街ック天国」でも紹介されていた青森県産の地鶏を使った1個10円という肉だんごを買った。プリプリの歯ごたえがうまい。笑顔のすてきな女性が「放送後、たいへんな混雑だった」という。

おでん種の佃忠では、たくさんのおでん種が静かに並んでいる隣に、もうアツアツ、ほかほか湯気をたててるのがあって、隣にベンチまである。昼食には早い時間だけれど、すっかり気持ちがなごんでしまって、ここで昼にしてしまった。
大根、玉子、銀杏揚げ、すき焼き入り巾着なんかを、通り過ぎていく人をぼんやり眺めながら味わう。通りのはたでひとりで食べていても居心地が悪くない。
あと、さっき買ったパンを食べて十分な昼になった。
田端銀座の佃忠:軒下でおでんを食べた

■ 大龍寺
東京都北区田端4-18-4

北に向かって、大龍寺に寄った。
はじめに寄った田端文士村記念館で、ここに正岡子規の墓があり、近くには旧宅もあるときいてきた。
墓地に入ると、まず正面にりっぱな構えの板谷波山の墓があった。
正岡子規の墓は奥のほう、煉瓦塀の前にあった。塀と墓のあいだに数本の笹が伸びていて、ひなびた風情があった。

寺からほとんどまっすぐ北に向かうと崖にでてしまうのだが、そこが母が住んだ家のあたり。
僕も小さい頃、線路が並んでいる景色を見下ろした覚えがある。
北上する山手線などの線路に並行する崖上だと思っていたのだが、あらためて地図をみて確認すると、環状の山手線が上端で富士山型に方向をかえる先端にあたっていて、いわば山手線のてっぺんにあったのだった。

■ 子規庵
東京都台東区根岸2-5-11 tel.03-3876-8218
http://www.shikian.or.jp/

■ ねぎし三平堂
東京都台東区根岸2-10-12
http://www.sanpeido.com/

芋ようかんを買ったあと東京都現代美術館に行くつもりだったのだが、田端銀座を歩いて時間の余裕がなくなり、正岡子規の住居跡と、林家三平の資料館に寄った。

■ 一番星画廊
東京都中央区日本橋3-6-9 箔屋町ビル1F  tel.03-3272-2525
http://www.1banboshi.co.jp/

神田駅から日本橋まで歩いて、開廊20周年記念の中川一政展を開催中の一番星画廊に行った。
星忠伸さんがいらして、次々に現れる来客をいつもの笑顔で迎えていられた。
一番星という画廊の名は、始めるときに中川一政が名をつけてくれたものだが、星さんは「何だかトラック野郎みたいで...」と冗談まじりに話されていたことがある。看板の文字も中川一政の書で、開廊記念となるとやはりこの画家ということになる。

今は小泉淳作さんと縁が深く、東大寺の障壁画制作もプロデュースしている。広いアトリエが必要なので北海道でかいているが、小泉さんの夜の散歩にときどき同行する。さすがに星空がみごとで、天の川もくっきり見える。小泉さんがあれは何の星かと尋ね、星さんが知ってる限りは教えるが、わからないのがあると機嫌が悪いという。
星さんに誘われて北鎌倉の小泉さんのアトリエに伺ったことがある。鎌倉駅近くまで食事に行くことになり、散歩がてら夜の鎌倉道を歩いた。かなり速いペースですたすたと歩かれる。高齢だが大きな仕事を成し遂げるには体力も欠かせない。
止まり木だけの小さな店で、夜更けまで飲み、食べて、楽しい時を過ごした。

■ 中央区立京橋図書館
東京都中央区築地1-1-1 中央区役所内 地下1・2階
tel.03-3543-9025
http://www.library.city.chuo.tokyo.jp/

母の養父が働いていたという「村田商店」については、地元のこの図書館で調べても、今日は確定的なことはわからなかった。
「村田商店」の近くに円光寺という寺があり、その縁で家では檀家になっている。
母の養父も養母も、そして母も父も、もうそこに埋葬されている。
円光寺のことを見ていくとおもしろいことがあった。
円光寺はもとは京都の寺で、明治時代になり、小伝馬町の牢が廃止されたときに、その牢跡の一部に設立した。
その近くにはかつて「石町(こくちょう)時の鐘」というものがあり、与謝蕪村が夜来亭の句会をその鐘の下で開いていたという。
その後、鐘はある商店の蔵におさめられていたが、関東大震災で蔵が焼けると、ふたたび鐘が現れた。
地元の人たちが公開の場に置かれることを求めた結果、小伝馬町の牢の跡地の一部に作られた十思(じっし)公園に置かれることになった。
商店の蔵跡から十思公園に移すときに、供養の読経をしたのが、僕の家で今お世話になっている円光寺の住職(先代)なのだった。
ついさっき墓を見てきた正岡子規は蕪村の再評価を訴えた人であり、あれこれと脈絡がつながっていくのがおもしろい。

僕が気に入っている(気になっている)蕪村の句2首。
五月雨や滄海(あをうみ)を衝(つく)濁水(にごりみず)
  芭蕉の「五月雨をあつめてはやし最上川」を連想させるが、最上川が海に流れ出すところはこんなふうだろうか。

月天心貧しき町を通りけり
  僕がとても好きな写真、アンセル・アダムスの『月の出, ヘルナンデス, ニューメキシコ州, 1941』をつい思い出す。

● 笹新
中央区日本橋人形町2-20 tel. 03-3668-2456

図書館を出ると、もう日が暮れて薄暗い時間になっていた。
今日の最後にもう1つだけ、十思公園の鐘を見にいこうと、新大橋に向かって歩き、水天宮の角で左に曲がった。
空腹になってきて、甘酒横町にはいりこみ、低いながらビルふうの店が並ぶなかに、いちだんと背が低い、ふつうの民家ふうの居酒屋が角にあったので入ってみた。

とてもシュールな店で、注文がとぎれると3人の店員がまちまちの方向を向いて立ち尽くしている。不条理劇の舞台を見るようで、おかしいような、落ち着かないような。
ほかに1人客が3人、黙って飲んでいて、あと中年の夫婦らしい2人連れ1組がポツポツと話している。
静かな奇妙な時間が流れる。
しばらくして客が幾組か続いて入ってきて、俳優たちもふつうに動きだして、空気もなごんで動きだした。
どの組もポテトサラダを注文していたようだから、それが定番の名物らしかった。
僕は今さらのように思えて注文しそびれた。また来るようなことがあったら、ためしてみよう。

■ 十思公園
東京都日本橋小伝馬町5-2

小さな公園なので、照明を受ける櫓にある鐘はすぐ見つかった。
1711年に鋳直したものというから、蕪村(1716-1784 )が生まれる数年前のこと。蕪村はこの鐘の下で夜半亭の茶会を開いていたことになる。(鐘の位置は当時より少し移動している。)
公園の向かい側には伝馬町牢屋敷の案内標がある。
十思公園の鐘

■ 十思スクエア (旧十思小学校)
東京都中央区日本橋小伝馬町5-1  tel.03-3546-5336
http://www.tokyochuo.net/meeting/town/shisetsu/zisshi.html

関東大震災後の「復興小学校」のうちの1校、十思小学校(1928建設)が1990年に廃校になり、2000年に区の福祉関係の複合施設「十思スクエア」になっている。

十思公園から隣の十思スクエアを見ると、壁にプロジェクタから映像を投影している。何かやっていそうと行ってみたら、「セントラルイースト東京」というイベントの1つだった。大型開発から取り残されて空洞化した都市空間を、アート・デザイン・建築が領域を超えて結んで再生をはかる、という。 十思スクエアはもと十思小学校−校舎の壁に映像を投影していた

案内地図を見ると、イベントは何カ所かで展開されていて、場所は、○○ビルのほかに、「○○の空き地」とか「○○−○○間の路地」とかある。こういうの見て歩くのは好きなのだが、今日はここまでずいぶん歩いて、十思公園が最後の目的地!とめざしてようやく着いたものだから、もう夜の街のなかを探して歩く気力はなかった。
でも、ここまで1日じゅう懐旧的・ネムクナルのを見てきて、もちろんそれも悪くないけど、先端的・メザマシイことがなかったのが惜しかったと少し物足りなくもあったので、最後に思いがけず先端的の一端に出会えて、いくらかバランスを回復した。

たっぷり歩き、また歩いただけのことはある、いい1日だった。

参考:

  • 『田端文士村』 近藤富枝 中央公論社 1983
  • 『出没!アド街ック天国』 テレビ東京 2007.10.13
  • 『史実研究』 田中閑水 東京史実研究会 
  • 『日本橋小伝馬町今昔史』 日本橋小伝馬町二の部町会 1981
  • 円光寺 http://www7a.biglobe.ne.jp/~enkouji/