さいたま文学館『秋谷豊 地球の詩人』展


■ さいたま文学館『秋谷豊 地球の詩人』展 講演会
さいたま文学館 2011.6.11(土)
第1部 「秋谷豊との思い出」新川和江(詩人)
第2部 「地球」元同人による秋谷豊詩朗読
第3部 「秋谷豊のネオ・ロマンチシズム」石原武(詩人)
展示解説 秋山公哉(詩人)


さいたま文学館に行き、秋谷豊展を見て、長くつきあいがあった詩人による講演会を聴いた。同じ会場で5年前の2006年に、秋谷豊本人の講演を聴き、終了後に短時間、話をしたことがある。次の機会は亡くなられたあとの追悼展のようなことになってしまった。

秋谷豊さんは『詩で歩く武蔵野』(さきたま出版会 1998)を編集し、尾崎喜八の「遠足」をとりあげている。
片側に何面の家並つづく秩父根通(ちちぶねどお)り。
もみじの燃ゆる加治(かじ)丘陵のいただきから、
眼下にひらける入間川の碧い曲流。
おり立てば仏子(ぶし)の崩壊地は高々と仰がれて、
ローム層、砂礫層に被われた丘陵の基盤、
埋れ木や貝類の化石をふくむ仏子層を見た。
地質学に関心がある人には、仏子のあたりはさまざまな地質現象がある格好の観察地で、いかにも尾崎喜八らしくそんな自然に関する記述をおりこんだ詩になっている。
秋谷さんはこの詩に付した短い解説文のなかで、尾崎喜八の『山の絵本』と『旅と滞在』が、「私に山への目を開かせてくれた」と書いている。
尾崎喜八は山の詩人で、秩父や信州の山を歩き、詩を書いた。
尾崎喜八に影響された秋谷豊も山の詩人となったが、その行動範囲はヒマラヤの山やアジアの大平原に及び、国際詩人会議を催すなど、射程距離の長い詩人だった。

秋谷豊さんの2006年の講演は「秩父 文学の旅」という企画展に関わってのものだった。
展示でも講演でも、秩父をよく歩いた尾崎喜八にふれられていた。
僕は尾崎喜八に縁があり、秋谷さんの講演のあと、短く話をしたことがある。
そのあと、秋谷さんから最新号の『地球』とあわせて、ていねいな手紙をいただいた。
チリチリとふるえた奇妙な文字で、とても驚いた。封筒の宛名も、中の手紙の文章も、同様にふるえている。なにか障害でもおありなのだろうかと思っていたら、今日の講演で新川さんが「ラーメン文字」と名づけているのを知った。自分用のメモなどはふつうの字で書き、手紙や原稿など人に読まれるものには時間をかけてふるわせて書いているという。むしろ礼儀のようなのだった。

手紙の文字がふるえている

新川和江さんの講演では、まず図録がよくできていると誉め、表紙の写真が懐かしいと語られた。死後、いなくなって寂しいと思う人はいるが、こんなに「懐かしい」という感情を抱かせる人はないと惜しむ。
図録の冒頭にあるのが「鴻巣」という詩。
新川さんによれば「うまいが、うますぎる。ちょっと破綻があったほうが、そこから詩にはいっていける。でもこれだけの詩があるからには、鴻巣にはこの詩碑があってもいい。」ととても高く評価された。

石原武さんは、秋谷豊が最後まで老人ぽくなく、少年だったと語られた。
自分のことを「僕」という。「わたし」と言わないし、「俺」とも言わない。「僕、浦和の秋谷です」と電話をかけてきて、こちらに急ぎたい用事があってもおかまいなしに長い話になる。
秋谷豊の詩や行動の原点に武蔵野があったと強調して締めくくられた。

講演のあと、展示室で、秋山公哉さんが、展示品を解説しながら秋谷豊さんの生涯を語られた。
登山靴などと並んでキャノンのカメラが展示してあるのを見て、「カメラを持ってたんだ」と驚かれていた。「秋谷さんが撮るところを見たことがない。写真はいつも同人の仲間がとっていた」という。
新川さんも石原さんも、秋谷さんがおしゃれな人で、いつもキッチリ磨いた、いい靴をはいていたと話されていた。秋山さんからはもっとすごい話があって、秋谷さんは亡くなる前、救急車で運ばれたのだが、意識はあり、乗る前に靴を選んで履いたという。

秋谷豊という特異な存在感をもつ人が、今日はずいぶん身近に感じられてきた。

       ◇       ◇

鴻巣の生まれの人として、詩人では秋谷豊、画家では須田剋太がいる。
鴻巣は関東平野にあって、地形は平板で特徴がない。
歴史的にも、細かくみればそれなりにいわくはあるが、城も名家もなく、歴史に残るような大事件もなかった。別にそれが不幸というわけではなく、大災害もなくて安穏に暮らせはする。でも、こういう条件では一般に大人物はでないだろう。
ところが、秋谷豊と須田剋太は、ちょっとした詩人、ちょっとした画家というようなものではなく、型破りでスケールの大きな人だった。
どうしてこういう町からこういう人物が現れたのか、僕はずっと不思議に思ってきた。

須田剋太については、生前を知る人たちが惜しんで須田剋太研究会というものを作っている。僕は生前の須田剋太を知らないが、最近その会に加えてもらって、不思議を解いてみたいと足跡をたどったりしている。
秋谷豊については、尾崎喜八のご遺族との縁もあることだから、お元気なうちにもう少し直接にお話しなどうかがっておけばよかったと悔やまれる。

(2011.6月 no.70)
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参考:

  • 『秋谷豊 地球の詩人』展図録 さいたま文学館 2011
  • 『詩で歩く武蔵野』秋谷豊 さきたま出版会 1998